ギターでアドリブするための、指板の構造とコード理論の学び- HKGuitar
  • Home
  • About
  • ebooks
  • youtube
  • practice room

死ぬ間際に後悔する事のトップ5を絶対しないためにすべき事

2/20/2018

2 コメント

 
画像
人の目、批判を恐れて何もできない…そんなに心配しても他人は発言に対して無責任です。

ちょっと機嫌が悪かったり、ついてない日だったり…そんなもんです。

あなたの事を親身になって考えてくれる暇な人など存在しません。

結局、死に際に後悔するのは、あなたなのです。

その時に、人を恨んでも遅すぎます。

やろうとすらしなかった、それじゃ悲しすぎます。

​僕はそうしないために…

​

一番よく聞く「後悔」の言葉。人は、人生が終わりに近づいていると悟ったとき、もっと自分らしく生きたかったと考えるようです。いくつもの夢があれど、ほとんどの人は、そのうちの半分も全力を尽くさないままに時間が過ぎ去ってしまうのです。そして、じつはそれが「自分の決断次第だった」ということに気づきます。
健康は人を盲目にします。もう長くは続かない、とわかるそのときまで、自由を見えづらくしてしまうのです。 - 看護師が語った死の直前に誰もが口にする「後悔の言葉」からの引用
引用はTABI LABOと言うブログなんですけど、元ネタは英語の記事です。

Collective evolution  -  The top 5 regrets of the dying

​
  1. “I wish I’d had the courage to live a life true to myself, not the life others expected of me.”(もっと自分らしく生きれば良かった)
  2. “I wish I hadn’t worked so hard.”(あんなに働かなくても良かった)
  3. “I wish I’d had the courage to express my feelings.”(言いたい事ははっきり言えば良かった)
  4. “I wish I had stayed in touch with my friends.”(もっと友達と連絡をとれば良かった)
  5. “I wish that I had let myself be happier.”(もっと自分の幸せを追求すれば良かった)


90歳になってからじゃ遅すぎる
​

寿命が伸びました。

昔は45歳と言うと、もはや人生終わったと言う印象を僕は持っていました。

でも、今ではまだ半分残っていると思うようになりました。


いや、今からスタートと思うほどです。

昔はレールに乗る事、そして乗ったら最後まで人生が決まりました。

今は違うんです。


自分がやりたい事をやれる時代になりました。

僕と同世代の人には理解できないかも知れません。

海外ではハングリーな人間がやりたい放題、自分の人生を頑張っています。


​ただ、そうであってもこんな悩みもあるそうです。


僕のヒーローである、Gary Vaynerchuckは下の動画で意訳すると…

「他人に何と思われるか心配して、自分の人生をスタートできない人が多すぎる。身近な人、母親や友達…最悪なのはソーシャルのネガティブなコメント…でも、そんな匿名のクズのコメントのために自分の人生を放棄するのか?そんな奴がいたら、この動画をリンクしてやれ。」

「おいマジか?クズ野郎め、お前の人生がそんなに惨めでサイテーだからって、時間費やして他人の人生にまで毒を、ネガティブをまきちらしてんじゃねえ。彼らから離れろ、好きにやらせてやれよ。」

「他人がなんて言おうが関係ないじゃないか。もう十分だそんな生き方は。92歳になってからじゃ遅すぎるぜ。今すぐ情熱をぶつけて何か始めろ」

「他人の目を気にするなんて学生のする事だ、自分の人生を生きろ」


みたいな事を言っています。

僕は、「え?海外でもそうなの?」と驚きました。

僕には彼らは好き勝手に生きていたように見えたからです。

だから日本ってよほど酷いんだなと。

​


人間関係が面倒臭い
​

外国の生活に慣れた僕にとって、何が日本の面倒なところかと言いますと…

人間関係がややこしい点です。

いろんな駆け引きがあります。

素直に振舞っていてはだめな感じが難しいです。


「人の顔色を伺う」

良い面を考えると、気を使う=おもてなしの心となりますが…

自殺件数を見ると、気を使うことが単純にいいとは思えません。


気を使い過ぎて、疲れてしまうんですね。

生きる気まですり減らしているんじゃないでしょうか?


日本はあらゆることが洗練されていて、素晴らしいです。

でも洗練され過ぎだよ、とも思うんです。

もう少し生っぽく素顔で生きれる雰囲気が欲しいなと。


挨拶でも最初は牽制から入るようなのは面倒です。


なぜ自己卑下?
​

どうして何でも、

「すみません…」「申し訳ありません」

といったフレーズから始まらないといけないのでしょうか?

​出来ることでも、

「いやぁ、私なんか…」「全然だめですよ」

と自己否定しなければいけないのか。


僕は語学は勉強してないし、自信はないけれど、少しは話せるよと言います。

こういう事をいうのは正直怖いと思いながら…


「通訳やってんでしょ?ちょっとこれ分かる?」

とテストされるのが嫌です。

巷には僕より話せる人、読解力のある人はいっぱいいます。


ギターでも同じです。

​自分の出来るようにしか出来ないし、その他の事を要求されても困ります。

だからと言って、「自分は弾けません」とか言うのもおかしいです。


日本の場合はまず否定から始まるのが面倒です。

相手に期待させず、サプライズを大きくする姑息な手段です。

最悪のケースで相手の予想を大きく上回れなかったら、

「やっぱり謙遜しておいて良かった…」

​と傷つかずに済むからです。


悪く言えば、嘘つきの臆病者の文化じゃないですか?

だから疲れて自殺者を沢山産むんじゃないですか?


これじゃやっていけない
​

僕もかつてはそうでしたが、長い海外生活を通して変わりました。

だから日本人の人間関係がとても難しいです。

自己卑下しないといけないのは分かっているので。

「でも、どこまで自分を卑しめればいいのか?」

正直分からないんです。


社会復帰できない海外経験者、と一言で片付けられそうです。

でも外から見ると異常だと思います。


そんな駆け引きに使う時間とエネルギーは、不毛すぎます。

​だから正直言うと、外人の方がよほど楽です。


でも僕の好き嫌いを別にしても、大きな視野で考えたら、日本人も変わらないと厳しい時代だと思います。


​ハングリーな外人
​

時代の変化は加速するばかりで、人の目など気にする暇はありません。

下らない駆け引きをしてる時間は無駄です。

そもそも変化に自分がついていけるかどうか?

AIが多くの雇用を奪う、と言われていますし。


​それに加えて途上国の、ハングリーで安い人材がチャンスをどんどん掴んでいます。

「相手の出方を見てから判断…」

我々島国のやり方は、もうどうにも通用しません。

​生き残りをかけた戦いにしては、のろ過ぎるのです。
​

かっこよく見せようとしても、もうみんな丸裸です。

プライバシーもなし、全部情報は筒抜けです。

国境など存在しないし、マーケットは世界、そして競争相手も世界です。


失敗を気にしない、ハングリーな外人にやられてしまいます。


チャンスがあればどんどん付け入ってきます。

出来なくても、出来ると押し切ろうとするのが外人です。

チャンスがあれば獰猛に挑戦するので、失敗を重ねながら経験し学びます。


失敗を恐れない文化なのです、日本と違って。

​で、ここから僕の恥ずかしい過去の話です…


you're chicken, man !
​

と生意気に書いてますが、僕もかつては典型的な日本人でした。

僕の場合はカレッジで、変身を余儀なくされました。

自己卑下は通用しないと悟ったんです。


「ヒトシ、この曲でソロ弾いてくれるか?」

と先生に訊かれた時に、それが難しい曲だったりすると


「出来ません」

と謙虚に断っていました。

僕としては、それは当然の礼儀だと。


でも不思議な光景に気がついたのです。

決して上手いとは思えないクラスメートが、いつも必ず出来るといってはばからない事でした。

「お前、自分の実力が分かってないな。でなきゃ、とんでもないハッタリ野郎だ…」

と最初は思ってたんです。

アメリカ人の自信たっぷりで傲慢な態度が嫌いでした。


​でも、僕の考えを覆す決定的な瞬間がきました。


「じゃあ、この曲でソロ弾いてくれる人は?ヒトシ…、君はどうかな?」

曲名は忘れましたが、コード進行の難しい曲でした。

「うっ…ちょっと僕には難しいですね…」

といつものように断ろうとしたんです。


その瞬間どこからか

「コケーッコッコ」

と言う声が聞こえてきました。

「You're chicken, man !(お前は臆病者だ)」

​と言う事です。


ただの弱虫
​

そうなんです。

当然の礼儀と思ってましたが、その本心は謙遜ぶってるだけ、恥を晒すのが怖いだけ。

ただの臆病者なんです。



​そもそも学校に何しに来てるの?って話です。

学びに来てるのに、カッコつけて、いいとこだけ見せたい…

敢えて失敗を犯そうとしない、リスクを取らない弱虫。

仕事じゃないんだし、何も失うものなんてないのに。


「海を渡ってわざわざ勉強しに来てるのに、何しとんの?」

「そう言えば周りのみんな、下手な奴ですら堂々とやってるな」

「結局のところ行き過ぎた謙虚、自己卑下は自意識過剰のエゴにすぎない」


自分の惨めさに気がつきました。

「本当に俺はただの弱虫だ…」

そして少しずつ僕は変わっていきました。
​

後でこの前向きな姿勢は、学校だけでないと知りました。


みんな成長の途上にある
​

カレッジ時代のエピソードをもう一つ。

ある午後の授業の休憩時間の事。

木陰で涼みながら、あるベーシストとコーヒーを飲んでいました。
​


名前はアンドリュー…だったと思います。

その人はレイチャールズの仕事にも参加した事のある人で、あまりにも上手でした。

「あなたと演奏するなんて畏れ多くて…」と僕が自己卑下するような発言をしたらさらりと、

「そんな風に考えなくてもいいよ、僕も同じ音楽の生徒だよ。それに君のプレイだってクールだよ」

というカッコいいセリフを、何ともさりげなく語りました。


彼は当時25歳でしたが学生ではなく、すでにプロでした。

でも音楽をする人みんなが音楽の生徒、プロになっても死ぬまでみんな学生だと言うのです。

参りました。


​アメリカ人から「初心忘るべからず」みたいな事言われました。

あまりに自然に出て来たセリフでした。
​


クールすぎて未だに忘れる事ができません。

外人は口からハッタリだけというわけでもない…という事です。

正直に謙虚さも口にしますし、相手を褒めます。


それ以来、僕は人を褒める事に躊躇しないようになりました。


学生の心を持ち続けたい

学び続ける、失敗を恐れない、リスクをとる…

人の良いところを褒める、自分の出来る事は出来ると言う。

そんな自分でいたいです。
​

アメリカ、ブラジル、オーストラリアに住んでみて、日本と決定的に違ったのは裏の少なさでした。

もちろん外人にも裏はあります。

でも日本人のように裏のまた裏をかくような、複雑な思考回路ではありません。

そこが感情的、気分屋、熱し易く冷め易い、自分勝手でもあるわけですが…


そこらへん日本人は許せないですね。

ただ裏返すと、それが出来るだけの余裕がある、好きに生きていいんです。

それが絶対許されない空気を作ってしまうのが日本、疲れてしまうんです。


僕が住んだ国では自由を感じました。

日本は精神的コミュニストって感じで、空気から違う、重苦しいです。

やりたい事をやれる時代になったのに…


後悔は人生最大の毒
​

アメリカやオーストラリアでは、好きな事で起業、副業するのがブームです。

冒頭に挙げた、死ぬ時にする後悔のトップは

「もっと自分らしく生きれば良かった、全力を尽くせば良かった」

​この後悔をしてはいけません。

僕もそうしないために、ブログを始めました。

いかがでしょう?

40代や60代であっても、海外ではどんどんやりたい事をやる人が増えています。

もう時代は変わりました。

だから古い考えは捨てて、好きなように生きていいんです。

人の意見なんて気にしても、彼らがどれほど親身になっているか知ったもんではありません。

その意見に責任など持ちません。

そんなどうでもいい人の意見を気にするのはやめて、自分の人生を生きましょう。


いかがでしたか?
​

このエピソードが気に入ったら、是非ソーシャルメディアでシェアして下さい。

きっとあなたのお友達にも何かの励まし、刺激になるでしょう。

共感してくれる人はきっといると思います。

励ましあっていけたらと願っています!

メルマガ登録フォーム

2 コメント
木野渡
11/12/2020 12:26:59 pm

『その場の思いつき、数秒後には忘れてしまう無責任な苛立ち__そんなもののために、人生を諦めるのはもったいない。
あなたが望む自由のために生きて欲しい』

うなずくばかり__

『音楽を学ぶものは皆生徒であり、それは職業に就いたプロであっても生涯学び続ける生徒の一員』

だからこそ、失敗を恐れず、挑み学ばせてもらうという気持ちは__就職した大人になってからも大切なものなのだと再認識させて頂きました。

そこで気づくのは、日本は人も企業もつくづく余裕がないのですね……。
『失敗して学べるのはお前だけで、こちらに迷惑をかけるな』と、初めから迷惑を受け付けない前提で成長の機会を釘打つように閉ざしたがるのは、やはり余裕がないの一言に尽きるかのよう。

人が一人成長するのは、子供を育てるのと同じぐらい時間がかかるもの。
そして生涯学び続けるのが人生なら、迷惑をかけるのも、助け合うのも生涯続けるべきことだと自分は信じています。

『身近な人をよく助け、素直な感性で楽しく生きる』
パワハラを乗り越えて、新しい職を手に入れた今の自分が大切にしている信念です。
いつか日本もきっと、どんな考えも受け入れられる穏やかな暮らしが訪れることを祈っています。
八百万の神 というように、多くの存在と共にあることを受け入れてきた国のはずなのですから__きっと、そうなって欲しいものです。

返信
ひとし
1/19/2021 03:31:14 pm

素敵なコメントを、ありがとうございました。

返信が遅くなって、大変申し訳ありませんでした。

「そして生涯学び続けるのが人生なら、迷惑をかけるのも、助け合うのも生涯続けるべきことだと自分は信じています」

激しく共感します。
今ほど孤独な時代はありません。
孤独死してしまう原因が、まさにここにあると思うのです。

人に迷惑かけられない、という文化は素晴らしいのですが、もはや病的です。
孤独死が存在する時点で、もう行き過ぎですね。
みんなお互いさまです。

パワハラの件ですが、どうか完全な癒しがありますように。
いつもありがとうございます!

返信



返信を残す

なぜメール?

ニュースレターを週1回のペースで配信しています。新しいコンテンツのご連絡がメインの目的です。
​またリスク回避のためです。ブログ会社に問題があったり、ハッキングされた場合、こちらからご連絡するためのバックアップでもあります。決してスパムはしないとお約束します。
Privacy policy
クリエイティブコモンズに基づいて次から使用された写真: masharova, Simon_sees, Sigfrid Lundberg, Aécio Neves - Senador, Historyworks Photography, Stanislav Sedov, Chasqui (Luis Tamayo), markhillary, brittreints, Robby Schulze, Diego3336, Fora do Eixo, InMyEyes88, markhillary, -marika bortolami-, Patricia Figueira, vishal.jalan, paologmb, Mariam Marie, Fora do Eixo, InSapphoWeTrust, Stanislav Sedov, roberthuffstutter, roberthuffstutter, Kirt Edblom, Thomás, upslon, Guilherme Yagui
  • Home
  • About
  • ebooks
  • youtube
  • practice room